1944年8月1日
軽巡洋艦球磨型の多摩・木曾・大井・北上の4隻を重雷型に改装しました。
改装後に、国力の推移を見るために、7月5日の国力と8月1日の国力を比較しました。予算不足は相変わらずですが、石油備蓄量の減少は深刻な問題であると考えられます。現在のところは石油を50000以上備蓄している基地が複数あるため、基地の備蓄量を減らせばその分を利用できますが、いずれ破綻するでしょう。
対策としては、以下のようなものが考えられます。
- インド・オーストラリアのような石油を生産する地域を早期に制圧する
- 艦隊・航空隊の無駄な稼動をさける
- 敵が攻めてくる可能性がない基地の直掩率を0にする
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7月5日 |
8月1日 |
| 国民生産力 |
433 |
416 |
| 国民士気 |
99 |
94 |
| 国家予算 |
13053 |
8468 |
| 石油備蓄量 |
58244 |
39428 |
| 物資備蓄量 |
100000 |
100000 |
| 鉄鋼備蓄量 |
21366 |
38876 |
| アルミ備蓄量 |
31296 |
40808 |
| 輸送船 |
71 |
30 |
| 海防艦 |
26 |
39 |
| 予備部隊数 |
9 |
318 |
| 工業技術力 |
416 |
451 |
| 情報技術力 |
306 |
306 |
| 兵器技術力 |
456 |
456 |
| 航空技術力 |
516 |
551 |
| 艦船技術力 |
506 |
506 |
3隻目の雲竜型正規空母 葛城が竣工したので、松型駆逐艦3隻とあわせてトラック基地への移動を指示しました。
敵の国力を少しでも削るため、あり合わせの潜水艦3隻(伊162・伊165・伊166)で第七潜水艦隊を編成し、塚原二四三中将を司令官として南太平洋方面フィジー沖へ派遣しました。
トラック基地に各館隊が一斉に寄港して石油を補給したため、トラック基地の備蓄石油量が1910にまで減ってしまいました。これでは困るので、理想石油量を20000⇒50000に変更しました。
8時
成都航空隊の零戦五二型・呑龍混合385機が敵西安基地を空襲しました。一度破壊した敵の空港が修理されていましたが、さいわい西安方面は雨だったので敵直掩機の迎撃を受けずにすみました。飛行場を破壊し、守備隊60⇒47の戦果を挙げて無事帰還しました。石油の消費量を見るため、成都航空隊の出撃前と後で成都基地の備蓄石油量を調べると、19944⇒19897でした。一日の消費石油量が47なので1ヶ月毎日出撃しても1500程度の消費であり問題のない量だといえます。
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